山古志村の闘牛大会

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すあまです。

新潟県の山古志村では、先に起こった新潟県中越地震の影響で村に戻れず、今なお、多くの人々が不便な仮設住宅ずまいを強いられています。
寝るときは、湿気?のため水がぽたぽたと布団の上に垂れてくるので、布団の上にシートを敷いて寝る家もあるとのことです。
また、現在は山古志村自体が町村合併で長岡市の一部となってしまっています。
山古志村では、伝統芸能として古くから「牛の角突き」と呼ばれる闘牛が盛んなのだそうで、
五月四日ゴールデンウィークの最中に山古志村の闘牛場ではないものの、代わりの場所として栖吉町の市立公園で、地震後初めて山古志村の闘牛が復活しました。
奄美大島の徳之島はやはり闘牛を行っている関係で山古志村とは深い交流があります。
ハシケンさんも歌う「ワイド節」は、もともと奄美大島の闘牛で応援するための唄です。
初めて聞いたときは、こんなにノリの良い唄が古くから島唄として存在したのかとびっくりしたものです。
今回、徳之島「夢」振興会では、闘牛大会で山古志村の人々激励するため、バス5台で150名もの人々で応援してきました。
私も奄美三線を習っている先生のつてで参加し、ビデオをまわす記録係を仰せつかりました。

朝、六時半に新宿駅西口スバルビル前に集合し、出発。
ゴールデンウィーク中ということで、道は込んでおり、時間通りに着けるかという心配はありましたが、車内では早くも酒が入り、現地で行うイベントのためのワイド節の踊りの練習や、奄美島唄のオンパレードで賑やかです。
途中、トイレ休憩のために立ち寄った休憩所では、「しばり、しばり」と叫んで、人々が出て行きます。「しばり」とは奄美の言葉でおしっこのことです。
うら若い娘さんが「しばり、しばり」と飛び出して行くのが、それはそれで艶っぽいと思うのは私だけでしょうか。

開始時間ぎりぎりに到着。
闘牛会場へ行く途中のアスファルトはあちこちがひび割れ、地震の激しさを物語っています。
会場には三千名もの人々が集まり、熱気で溢れていました。
到着後、すぐに奄美島唄グループ「カムイ」がスタンバイ。
オープニングで奄美の島唄を歌いました。
私も正面を陣取りビデオを回しました。
しかし、今まで、ビデオを撮ったことがなかったのでなかなか慣れずに撮影中に三脚に固定していたカメラの首がガクンと折れるわで、傾くわでもう大変でした。撮れていればいいのですが、撮れていたとしても多分に編集が必要でしょう。
私の隣に座って一緒に観戦していた山古志村の方から暑いでしょうとお茶を草もちをいただきました。
本当にありがとうございました。

闘牛は15組30頭の牛が戦いました。
どの牛もさすがに立派な体格と角をしています。
どっかん、どっかんと角と頭をぶつけ合う姿はすごい迫力です。
中には、初めから戦意のない牛もいましたが・・・
逃げる姿もまた可愛い。
牛の周りには勢子(せこ)と呼ばれる人々がいて、牛をけしかけたり終了時に牛をなだめる仕事をします。
徳之島では勝敗がつくまで徹底的にやらせるそうですが、山古志村では、山場を過ぎたところで、双方の牛の後ろ足に縄をかけ、引っ張り、闘うのをやめさせます。
完全な勝敗をつけると、負けた牛はその後、戦意を喪失してしまうそうです。
牛は家族同然なので、ほどほどに戦わせてよく頑張ったと褒めてあげ、またこの次も頑張れるようにと、そのような形式になっているそうです。
さっきまでガツンガツンとやっていた牛ですから、まだまさに鼻息荒しです。抑える人も怪我をしないように注意しながら、果敢に牛を押さえにかかります。しかし、鼻を掴んだ瞬間、ふっとおとなしくなります。
見事、牛を押さえ込むことができると、場内ではそれに対しても賞賛の拍手が巻き起こるのでした。

途中で、再び奄美の余興が入り、「ワイド節」と沖縄のカチャーシのような「六調」を演奏。徳之島の人も山古志村の人もみんなで踊り、会場がさらに活気づきます。
私も踊りたかったのですが・・・カメラを回していたので、その場で小さく踊りました。

終了後は、すぐに帰り、車内で出された夕食の「牛めし」にはちょっと戸惑いましたが、生三線演奏での奄美や沖縄の唄、普通のカラオケで老若男女で騒ぎ、新宿に11時ごろ着きました。
疲れましたが、本当に楽しい一日でした。


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Posted by suama