マザーシップ卒業

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先日、沖縄三線を習っていたマザーシップを卒業しました。
今後は別の先生について習うことになります。
2004年10月から2006年3月まで通ったので、1年5ヶ月あまり。

もともと、元ちとせさんがが弾いていた三線に興味を持ち、
沖縄三線と奄美三線の音楽の違いも分からず、ネットで検索した島袋りりあ先生の写真付きだったマザーシップのサイトをブックマークしたのが2004年の4月ごろ。
8月の終わりごろ、前の派遣先で途中抜け休みをもらって、武蔵小杉のユニーで開かれていた、島袋りりあ先生の三線講座へ見学に行きました。
写真の印象とは違い、よく喋る方だなと思いました。。。
受付では見学は10分ぐらいと聞いていましたが、先生が
「いーのよ、10分だと練習始まらないんだから、半分ぐらい話しているときもあるかしら、がはは」と、うそなんだかほんとなんだか分からないことを言われ、
結局最後までいました。
初めて聞く、安里屋ゆんたと十九の春、先生の三線の重み。
楽器をやったことがなく、沖縄にも行ったことがなく、沖縄の唄も全く知らなかった自分には、とてもすばらしく感じられましたが、楽器なんかできるかどうか、やっぱできそうにないなぁと思いました。
会社を抜け出していくのは、辛いので、別の時間の講座はありませんか?
と聞いたところ、その日の夜にあった、マザーシップを紹介してもらいました。

その夜、マザーシップに伺ったところ、先生が何度も何度も教えてるために歌っているのを聞いて
ライブみたいだなぁ、見学でこんなに聞けるなんてなんて贅沢なんだろうと思いました。
そこでは練習後に近くのお店で飲み会があり、誘われた私は多少緊張しつつも、喜んで参加しました。
先生は次の月からフィンランドに公演に行かれるとのことで、9月は練習がありませんでしたが、生徒さんたちで自主練をしようということになり、新橋で買っ た三線を持って伺いました。みんなの練習の邪魔をしてはいけないと思い、インターネット三線教室で安里屋ゆんただけ練習していきました。
しかし来ていたのは私だけ。後からきたH氏(仮称)に弾き方を教えてもらいました。
練習後に前回の楽しい飲みのことが印象に残っていたので、「このまま帰るんですか?」と言ったところ、自由ヶ丘のなんた浜に連れて行ってくれました。
そこで初めて沖縄料理を食べました。やぎはちょっと苦手でしたが、それ以外はおいしかったです。
その後、祝節や瀧落菅撹なんかに困りつつも、永良部百合の花や、かなさんどーといった好きな唄が出来たおかげで、ちょっとづづ弾けるようになっていきました。
隣の部屋にいた弟なんかは、その過程を覚えていることでしょう。
三線は唄がないとさびしい。元々小さいころは歌うことが好きで、声変わりとともに声が出なくなったために、あまり歌わなくなってしまった私は(歌っても徳永とか←ちょっち気持ち悪いらしい)、また、唄える曲が できたことが大変うれしかったです。小学生の時は、町の人の前で夏祭りなんかで、薬師丸ひろこの「セーラー服と機関銃」とか、わくわく動物ランドの「少しだけやさしく」とか一人待つわとかを歌っていたので、唄う歌ができれば、また人前で歌うよ うになるまで、そんなに時間はかかりませんでした。

そんなこんなで、時々日記に書いたようないろんな縁ができつつ今に至ります。
沖縄三線と奄美三味線との二束のわらじ。
まだまだ、未熟者ですけど、今後とも頑張ります。
ほんとうにマザーシップにはお世話になりました。どうもありがとうございました。


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Posted by suama