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松尾慎吾先生の「沖縄三線との出会い」(完全版)

沖縄三線との出会い(完全版)
※掲載には松尾慎吾先生のご承諾をいただいております。

沖縄三線と出会う頃、自分は30代半ばにして住所不定無職、半ホームレスの身の上にありました。
社会に出てから10何年、それまでに経験した事のなかった最低、最悪の状況。
抜け出すきっかけさえも全く見えず、ただその日その日を何とか生き延びていくことだけ。
どうしてそのような事になったかというと・・・・
約5年間、同棲していた恋人と別れ、部屋を出て行くことになりました。
引っ越し費用の40万円を持って出たのはいいけれど(よくないか)
あっさり置き引きに遭ってしまい、免許証、キャッシュカード、その他すべて無くして、その上借金付きで
世の中に放り出されてしまったのでした。
アルバイトをするにも、家が無いから履歴書も出せない。
もう、ホームレスまっしぐら。
ただ、自分は麻雀の腕に少しおぼえがあったので、ポケットに入っていたなけなしの手持ち約10000円を持って毎日麻雀する事にしました。
そのまま雀荘で夜を明かしたり、勝ったお金でご飯を食べてお風呂に入ったり、マンガ喫茶に泊まったり、
負けた時には井の頭公園のベンチで寝たり。
常に大きなリュックを背負って、中は着替えでいっぱいで20キロ近くあり、とっても重い。
超楽観主義者の自分もそんな生活が半年にもなると、さすがに精神的にも肉体的にも参ってきました。
そんな時、偶然昔の友達に再会し、事情を説明すると「しばらく泊まってもいいよ」と言われ、心底ホッとしたのを憶えています。
それから何日か後、「知り合いの家でパーティーがあるから行こうよ」と言われてのこのこついて行き、
パーティーが終わった後、最後までいたのが何故か自分だけだった事もあって、後かたづけを手伝って3日間泊まってました。ヒマだし。
3日目の夜の事でした。
泊まっていた家の女性が「今日は愛好会の日だけど、来る?」といいました。
何の愛好会だろう?と思いましたが、やっぱりヒマなので「行く行く!」と返事して、のこのこついて行きました。
中野の「山原船」という赤ちょうちんがぶら下がった店の2階に行くと、15人位の老若男女が全員「蛇皮線」を弾いて歌っていたのです。
その時誰かに「蛇皮線じゃなくて、三線というんです」と説明されたけど誰だったかな。
前任の島袋りりあさんとも、そこで初めて会ったのでした。
ああ、かわいい女性だなぁと。(笑)
リーダーらしき人に「歌を歌ってて」と言われたので、みんなの三線に合わせて、大きな声で、音をひろいながら歌いました。「安里屋ゆんた」「ナークニー」「カイサレー」「赤山」だったように記憶しています。
それと、精神的なダメージうあその日暮らしの切迫感や不安といったものがきれいにすっ飛んだようにも記憶しています。
素朴な音色、素朴な歌、、、傷だらけの疲れ切った心を元気づけるのに充分過ぎる魅力をもっていました。
それから毎週、自分は歌だけ歌いに中野まで通うようになりました。
歌を歌って島酒を飲んで、みんなと楽しく過ごす木曜日。自分は三線が欲しくなり、友達の紹介などで、日雇いやプールの監視員、食堂でアルバイトを始め、2ヶ月かかってとうとう三線を買ってしまいました。
アルバイトが週2日、残りの5日は毎日三線を弾いてばかりいる自分にあきれて、友達は部屋を出て行けと言ってきました。「部屋代を入れるからもう少し置いてくれ」と言って、日雇い、エキストラ、雀荘のメンバーの仕事を単発でやりながら木曜日は中野に通い続けてました。
ちょうどその頃、「山原船」の愛好会にある女性が2年ぶりにやって来て、たまたま自分の隣に座りました。酒を飲み始めて、話をしました。
「どこから来たの?」
「三鷹」
「あっ自分も三鷹だよ。三鷹のどこ?」
「上連雀」
「あれー、自分も上連雀だ。中学校はどこ?」
「三鷹四中」
「自分も三鷹四中だよ」
「あそこにあれがあったよね」
「あそこはあの頃何屋さんで・・・」
偶然、隣に座った、子供の頃同じ風景を見てた人。
フレームが逆さの、かなり個性的なメガネをかけた、小柄なおとなしいこの女性は、後々自分の嫁さんになるのですが。。。
結局、真冬の2月に友達の部屋を追い出され、またデッカイリュックを背負って、ホームレス。
でも、今度は三線がある。彼女もいる。
こんな時に彼女を作る男も男だし、こういう男とつき合おうと思った彼女も彼女だけど、この2度目のホームレスの日々は心が満たされて楽しかった。
毎日2人で三線持って井の頭公園で練習して、朝から晩まで弾き続け。
最高気温が10℃ 以下でもお金が無いから外で弾く。沖縄の三線なのに津軽三味線みたいに震えながら。
彼女が家で作った鍋を鍋ごと公園までもってきてくれたり、(自分はホームレスですから)スパゲティをどっさり作って寒空の下、一緒に外で食べたり。
ノラ猫にえさやりに来る感じで何かちょこちょこ作っては、近所の陸橋とか、井の頭公園までせっせと運んできてくれました。
そうこうしているうちに、自分はいつのまにか、そこそこに弾いて歌えていて、店でライブしたり、祭りとかのイベントに出るようになっていました。
愛好会に来た新しい人には教えるようになっていた。

月日は流れ、三線を弾き始めて1年半余り。
自分たちに息子が生まれた。
生まれるとき、自分は立ち合い、産声をあげた分娩室で三線を弾いて「童神」を歌っていました。
三線の音がすると、赤ん坊は泣き止み、よく見えない目を開けて、音がする方向をさがし始める。
おなかの中で聞いていた、素朴な、安心できる音色を。
この「海空(みそら)」と名付けた赤ちゃんと、すっかり母親らしい顔になった彼女を見て、自分を救ってくれた、この三線と歌を一生続けていこう、恩返しがしたい。と。。。
今まで探し続けても見つけられなかった自分の夢。三線を弾き、歌う事の楽しさを、1人でも多くの人に伝えたい


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Posted by suama